PROJECT  KIRILOLA  JAPAN 

 

 

 

「日本語の美しい響き」を日本なく、世界各地に広く伝えることを目指し活動します。

 

 

 

自然と共生し調和を大切にしてきた日本人話す日本語は、感性豊かな言語と言われており 

 

その素晴らしい響き本来の自分を呼覚ますことにつなるといわれています。

 

 

 

この響きをアーティスト KIRILOLA 自然と人間を結

 

音楽活動を通て国内外に発信します。

 

 

 

 

その美しい響き未来の愛あふれる地球となる元となり

 

社会に貢献することを目的とします。

  

  


 

KIRILOLA

 

 

自然界に満ちるいのちのエネルーを

音霊として表現するアーティスト。

 

日本古代文化・縄文文化を、

これまにない普遍的魅惑溢れる

新たな独自の解釈、表現する。 

 

2005年よりソロ活動を開始、7枚のCD をリリース、

独創性に富ん総合芸術的な演出ライ活動を続けている。 

 

   

 一般社団法人  PROJECT  KIRILOLA  JAPAN  代表理事

 

       

KIRILOLAのこれまでの活動

 


 

ご支援のお願い 

 

PROJECT  KIRILOLA  JAPAN では、

KIRILOLAの活動にご興味のある方、活動を支援されたい方、 

取材を希望される方からのご連絡を、随時承っております。 

 

 

「日本語の美しい響き」を世界に響かせるため、ぜひ皆さまのご支援を心よりお待ちしております。 

  

 



一般社団法人  PROJECT  KIRILOLA  JAPAN  主催

2025年 活動予定

KIRILOLA 20周年記念ライブ

2025年9月30日(火)

大阪市中央公会堂 中集会室


活動報告

【活動一周年のご挨拶】

 

昨年2024726日に設立いたしました「一般社団法人  PROJECT  KIRILOLA  JAPANは、

室内野外を含む4つのイベントを開催し、皆様に好評を頂きました。

 

そして930日(火)には、大阪市中央公会堂  中集会室にてKIRILOLA 20周年記念ライブ IN 大阪」を控えています。

 

日本語の美しく、調和をもたらす響きが、皆さんと共鳴を起こす様な素敵なイベントを企画していきますので、

今後ともご支援の程をどうぞよろしくお願い致します。

 

 

感謝を込めて。

 

 

代表理事 KIRILOLA

 


20241117日(日)  縄文オノコロボイス Live Vol.4 を開催させていただきました。

満員御礼で終了しました。ご来場いただきました皆さま、ありがとうございました。



東京の南青山MANDALAでの、「KIRILOLA 20周年記念ライブ」は、多くの方にお越しいただき、

無事終了することができました。

 

アンコールを入れて11曲が演奏され、大盛り上がりのLIVEとなりました。

ご来場いただきました皆さまには、心より感謝申し上げます。


 

作家で教育者の松永 暢史さんがライブの感想文をブログにアップしてくださいました。

写真と共にシェアいたします。

 

 

先週はよく雨が降った。桜が咲き始めてから雨が降った。しかもそれは細々ながら24時間以上続いた。珍しいことである。

1980年の春。私はインドカシミールのナギン湖のハウスボートにいた。

3月20日に私はシュリナガルの空港に降りて、飢え乾いたイスラム教徒の客引きにごちゃごちゃにされている中で、

そこにいる唯一の私以外の観光客の西洋人に目を止めて、質問した。

Which lake will you go?

すると相手は、

Of course the Nagin」と答えた。

 

私はこのイギリス人とオートリキシャに乗って、ナギンレイクのそんなに高級ではないハウスボートに着いた。

ハウスボートと言うのは、湖に突き出した先端から縦長に「スモーキングルーム」、「ダイニングルーム」、「ベッドルーム」、「トイレアンドシャワー」の部屋割りになっていた。

2~3日して、このイギリス人は「ラダックの祭典に行ってくる」と言って出かけて行った。

一人ハウスボートに残された私は、目の前のヒマラヤを映し出した湖で一人で小説を書こうとしていた。

すると、夜に雨が降り始めた。そしてこの雨は、明くる朝起きてもまだ降っていた。そしてそのまま一日中降り、夜も降り続け、あくる午後まで降り続いた。30時間以上降り続いたことになる。

30時間雨が降り続けるとどうなるか。初め私の滞在するハウスボートは岸に繋がれていたはずが、大雨のためにどんどん水かさが増して、湖の直径が倍以上になったので、まるで岸から離れた湖の真ん中にいるような塩梅になった。

すると、湖を取り囲んだ木が一斉に花を咲かせた。それは桜によく似たものだったが、真っ白な花だった。

舟のボーイに聞くと、

「バダーム」と答えた。これはアーモンドのことだった。

私はアーモンドと桜が同じ種類であることを初めて知った。

 

冬季最後の湖に、私以外の観光客はいない。

私は毎日押し寄せる物売りの相手と、ヒマラヤを背景にして湖上に姿を映すアーモンドの花を満喫した。

さて、この花が散ると、驚いたことに、空に現れたのは紛れもなく、真夏の灼熱光を放つ太陽だった。

インドカシミールでは春が1週間しかない。冬の次は1週間で夏である。

つまり、「三寒四温」なんて風情がない。

後でよく考えてみれば、日本の方が特殊なのであった。

徒然草に、

「折節の移り変わるこそものごとにあはれなれ」

とあるが、また、枕草子に、

「すべてひととせながらいみじゅうをかし」とあるが、

海に囲まれた温帯モンスーン気候の日本の季節の移り変わりは実に繊細である。

 

 

雨が上がり桜が満開になった3日、南青山MANDARAKIRILOLAのライブに接した。

これは、「KIRILOLA」としてソロ活動20周年と銘打ったもので、岡部洋一(鳴り物=パーカッション)、鬼怒無月(きどなつき=ギター)、坂本弘道(チェロ)、Koji Mtsumoto(デジュリドゥ)のメンバーによるもので、わざわざ出かけた甲斐のある驚くべき高水準のパフォーマンスだった。

 

前にも書いたことがあるが、単に一流のミュージシャンが集まるだけでは何かが足りない。

そこにはやはり、「花」が欲しい。

「アメノウズメ」が欲しい。

歌と踊りがないと「楽」にならない。

そしてそこに、それが単なる音楽ではなくて、かといって祭りでも儀式でもなくて、そこに他の言葉で表せないパフォーマンスを現出する。

これには個々の音楽家が自由かつ積極的にその場を作っていこうとする「合意」が必要である。

岡部のジャンベは、張り詰めた皮に心の奥底を叩き込む独自の高い響きを奏でる。

鬼怒のギターは、場を崩さずにそれ以上のあくまで高度な空間を演出してミスがない。

チェロの坂本はぶっ飛びだ。「弦」の音の永遠性。完全に彼方の世界に行って「宇宙」を現象させる。

マツモトのディジュリドゥは、なぜこの楽器があるのかわからせる。そこではその場に合った「息」の存在の必要性を思い出させる。

こうして、世界のありとあらゆる音楽と異なった、ありとあらゆる要素を集めた音楽が構成される。

前衛でもない。エスニックでもない。ヨーロッパでもない。アフリカでもない。カリフォルニアでもない。神道でもない。岩系でもない。

縄文系でもない。

そこにキリロラのかつてない他のどこにもない世界が現れる。

新しいミュージック。

美しいキリロラ姫は、歌い舞う。

場面によくマッチしたお洒落な衣装デザインと髪飾り。

その歌もメロディーも、どちらもかつてないもので、何かの価値判断の停止を伝え上げる。

「自然」との交歓。

 

彼女は音楽は天からやってくる、と言う。

そしてそこに生まれるのは、通常現代社会感性に迎合しようとない、むしろそれまでの感覚に意を唱える真に先進的な芸術表現。

意図的な「落差」。

「落差」があることの表出。

絶対にどこにもないが、だが確かにここにある表現。

ここにしかない音楽。

それは「ジャンル」を意識的に逸脱しようとする芸術行為とも言える。

 

この芸術家は、単に自己のできることをしているのではない。

自己のすることの可能性の連結を予想、期待して、その先へ向けて自己感性の拡張の実験を行なっている。

苦しみ、悲しみ、そして無理解、不可解。

ここに、それらは全て「昇華」される。

 

偉大なる感受性がそれを乗り越えて未来を創造する。

優れた音楽家たちとともに。

 

 


ライブ前日の雨で浄化され、当日は清々しいお天気に恵まれて

「第二回 縄文オノコロボイス ライブ IN 願成寺古墳群(岐阜県池田町)」を無事に開催することができました。

地元の方だけでなく、九州・関西など遠方の他府県からもお越しくださり、多くの皆さまと時を共にさせていただきました。

 

お越しくださいました皆様に、心より御礼を申し上げます。

 

緑豊かな茶畑に囲まれた自然の中で、来場された方もウグイスも一緒に唄い出す、みんなでのオノコロボイスで、

「一体感」という感覚を得たというお声をたくさんいただきました。

 

KIRILOLA含むオノコロボイスが、皆さまと作り出した美しい響きの輪によって、人間と自然界の繋がりがより深まり、今までより笑顔で過ごせる感覚を味わうことができたら、私たち一同も大変嬉しく存じます。